僕の事・・・・

ADHDの私が話す私の幼少期編、ADHDのお子様をお持ちのお母さまへ

ADHDの僕の話 ADHDの方が 身近に居る方 是非見て

高橋哲也と申します。

1982年千葉県で生を受け現在静岡県在住です。

30歳の時にある事がきっかけとなりと病院に行ったらADHDと診断されました。私がお茶を飲み始めたのもこの頃です。

今思えば幼少期よりADHDだったんだと思う事が多くあります。

私は人に物事を上手に伝えることができません。

このサイトも私が執筆した後リライトしてもらい投稿しております。

今回は『お茶』でなく、私、高橋哲也と病気についてお話ししたいと思います。ADHDに関しての話は当事者として話をさせて頂くだけで、私は専門家でも医者でもありませんので、根本的な解決策は持ち合わせておりません。自身の体験談です。

ADHDのお子さんがいる両親や仕事場にADHDの方がいる人に伝えたいことは『心無い言葉』は辞めてという事です。なぜこう思うかという事を実体験と共にお話させて頂きます。

ADHDの僕、幼少期

幼少期

小学校低学年。その頃から物忘れがひどく、学校では忘れ物も多くよく怒られていました。周りの人は普通の子より出来の悪い子位の認識だったと思います。これは幼少期に限ったことではないのですが、空気の読めない子であったことは間違いないです。

しかし、私、明るくポジティブでした・・・嫌な事すぐ忘れてしまいます。

怒られたすぐ後に、空気の読めない行動をしたことも数多くあります。本当に悪気はないんですが、怒っている人からしたら、「火に油」ですね。例えば、怒られていて、話が終わり、気が付いたら鼻歌を歌っていることがありました。・・・・・反省して舌の根が乾かぬうちに鼻歌を歌っていました。

人生が変わった!?親から言われた一言

その一言

7歳の時です。この日の事はよく覚えています。

親戚が私の家に来ていて、飲み物を買いに行くように、親に言われ、ジュースを7本買いに行くことになりました。私は自転車に乗りジュースを買って帰ってきました。

私が家に入ると、親が私の顔を見て言いました、「ジュースは?」・・・自転車のカゴに忘れた!と思いすぐに自転車に取りに行きました・・・・しかしそこにジュースはありません。慌てて、自動販売機に行ったら、ギチギチに取り出し口に詰まったジュースがありました。そのジュースを取り出し、しっかりカゴに入れ帰り親にジュースを渡しました。そして親から「お釣りは?」・・・・・また自動販売機に行き、お釣りを取り帰りました。

そして親や親戚に笑われ「ほんっと馬鹿ね」と言われました。

親や親戚に悪意はなかったでしょう。しかし、なぜでしょう未だに忘れられません。この時に私は自分の事を馬鹿なんだと思い、今後色々起こす事柄の言い訳に私は馬鹿なんで。という言い訳を心の中で言うようになりました。

記事を書くために親にも話を聞きたかったですが、私の親は他界して話を聞けませんがこの時ADHDという言葉を知らなかったと思いますし、ADHDという言葉自体私は30歳過ぎてから初めて聞きましたので、親が知らなくても無理はありません。

今思えば、馬鹿だなぁと思いますが、未だに同じような事をしてしまいます。お釣りの取り忘れなどは、しょっちゅうあります、多分3回に1回は忘れています。イチローの打率並みですね。

もし不注意な子、集中力の無い子、一つの事を完結出来ない子などの親御さんがいたら、心無い言葉には注意してください。物忘れが多い僕ですが7歳の時のこの経験は覚えています。その後人生にどの様な影響を与えるかは、分かりませんが、もっといい言葉があるはずです。そして、その様な兆候がある時、早く病院に行きましょう。私が病気だと分かったのは30歳でした、子供の頃、病気だと知っていれば、自分との向き合い方も変わったと思います。

馬鹿と言われて・・・

その言葉で傷ついたかというと、そんな事はありません。私が私自身に「馬鹿」というレッテルを貼りました。他に人にも貼られていたことでしょうが、自身で自身を馬鹿と思い認めた事が大きいと思います。

しかし・・・記事を書くため関係者に話を聞けば聞くほど、馬鹿と言われても仕方のない事をしていると思います。後になって考えれば分かるんですが、その場では分からないんです、その正しいであろう行動がとれないんです。この時の馬鹿と他の時に言われた言葉にどの様な違いがあるのか私には分かりませんが、この時の事はなぜか未だに鮮明に覚えています。

なぜ!?できない

なぜできない

なぜ?できないの??幼少期によく言われた言葉の一つです。

自問自答しました。結果、私は一つの事しか考えられません。

相手を怒らせてしまい。相手が本気で怒ってくれていても、私見たいテレビがあるとその事しか頭にありません。それがどんなに馬鹿な事なのか分かっています。しかし、先に頭にある事が優先されます。自己中で空気の読めないやつの出来上がりです。

怒られている時は分かった顔、申し訳ない顔などしていますが、この様な顔や仕草は自己防衛だったのだと思います。話が終わって、違う事をしたら、忘れます。メモを取り本気で反省してもメモを取ったことを忘れます。たとえ、メモを見ても字が汚過ぎて何を書いてあるか分かりません。怒られながら取ったメモなどは焦って書いているので、後から見ても理解できません。なので同じことを何度も行ってしまいます。

なぜ!?できないの。この言葉は言わないでほしい言葉の一つです。なぜなら、私にも分からないのだから。聞くのでなく答えを教えてほしいし、もっと寄り添った行動が欲しいです。

小学校での出来事

ADHDというのは「不注意」「多動性」「衝動性」の3つが顕著に表れるようです。私の場合『不注意』が一番強く表れ、『衝動性』が多少あるように思います。この不注意が原因で起きた事柄です。

小学生の時、友達と鬼ごっこしていた時です。遊具から落ち、右手小指を骨折しました。鬼ごっこに夢中になり周りが見えていませんでした。

親が学校に来て、病院に連れて行ってくれました。

数日後、先生から『診断書』を出すように言われました。この診断書で色々事件が起きました。

  1. 先生から診断書を出すよう言わる
  2. 私は貰っていないと言う
  3. 親に診断書を出したか聞かれ
  4. 私は出したと答える

親は私が無くしたり、忘れないように、連絡帳に挟んでくれていました。しかし、私はその事を忘れていました。親に診断書を出したか聞かれたときは、先生に出すように言われたことが、出したと思い込んでいました。

先生や親からしてみれば、ただの嘘つきに感じたと思いますが、この時、私は嘘をつく気もなかったですが、結果として嘘になってしまいました。この時も先生に言われました「なぜ?できないの?」

遊具から落ちた事が不注意によって起こされたことだと思います。その後の診断書のやり取りも不注意により、話が長引き、親や先生に不快な思いをさせたと思います。

私は物忘れが激しく、物事を自分の都合の良いように解釈してしまいます。

人任せになってしまいますが、お母さんが先生に電話でもしといてくれたなら、こんなに大事にはならなかったと思います。

私の性格

私の性格

最初に少し触れたのですが、私、とても明るくポジティブなんです。

実はこれも問題を大きくする原因だったのではないかと思っています。

この性格が反省していないと思われます。

しかし、私が暗く深く考え込んでしまう性格だったら・・・少々恐く思います。むしろ、病気であった為、生きて行くために、明るくポジィティブ、嫌な事はすぐ忘れる性格になったのではないのかと思います。

この生き残っていくために、生存本能から選んだ性格だったとすると、この性格のせいで問題を大きくしていることもあるのですが、もう、仕方のない事と割り切るしかないと思い、日々楽しく生きています。しかし時に周りの人を不快にさせていることに間違いはないです。ただ。今回記事にする為に小学校の同級生などにインタビューしたところ、自身が感じているより、人はそんなに気にしていない事も分かりました。当事者だから重く受け止めてしまうのだと思いますが、そんなに色々気にすることも無いのだと気が付きました。

今、私が思う事

私が大人になって感じることです。注意を与えてくれる側の人に、ADHDという病気を理解して頂き、ものの言い方や、こちらの意見を聞く姿勢など持って頂く必要があると思います。これが仕事となり、お金が関わってくる場所ではこんな事言ってられないかもしれませんが、親や教育現場などでは通用するのではないでしょうか?注意する側の人はなぜ?そこまでしなくては、いけないかと思うかもしれません。ADHDの子は他の子より手がかかります。しかしその行動がその子の未来を変える事の出来るかも知れない唯一の方法だと思います。